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もうこれ以上の物語には出会えないかもしれない、本気でそう思って、未だに私の心を離してくれない物語があります。
※本記事には『野田版 桜の森の満開の下』『寝ても覚めても』のネタバレを含みます。ご注意ください。
「1回ぐらい見てみたいとは思ってるんだよね~」が今年の3月までの私と歌舞伎の距離感でした。くんく*1がやったゾンビのやつ見てみたいなとか、ONE PIECEが歌舞伎になってる!と知ってはいるものの、これ!というタイミングがなく、結局一度も見たことがない。そんな時にフォロワーさんの呟きを見て気になったのが、『野田版 桜の森の満開の下』でした。持つべきものはフォロワー。さてどんな物語かしらと公式サイトを覗いたところ、ある一人の男性、いや耳に目が留まります。
「私、この耳を知っている……!」
耳男くんです。
そう、何を隠そう歌舞伎は見たことがないのに中村屋ドキュメンタリーはしっかり見ていた私*2、今作上演中の裏側を特集していた2017年放映分も見ていたのです!わっはっは!昨日やってたのも楽しかったね!
「耳男て。そのまんますぎるだろ」と思っていたのを鮮明に思い出しました。「あなた耳男、耳男って言うのね!」と感動の再会を果たし、調べてみたらあら大好きな劇場でやってるじゃない!と早速チケットを取り、見に行くことに。
ちなみに『野田版 桜の森の満開の下』は、坂口安吾の『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』を下敷きに、野田秀樹が書いた『贋作・桜の森の満開の下』*3を歌舞伎化し、2017年8月に歌舞伎座で上演されました。私は映画館で歌舞伎作品を上映してくれるシネマ歌舞伎のおかげでこの作品を見ることができました。ありがとう!2月の阿弖流為も楽しみ!
さて映画館に向かった私ですが、結局3回見ました。大変なことになりました。でもあと2回は見るつもりだったのにい。悔しい。
見終わってから呆然としてしまって、走って帰って、それからTwitterでわーわー騒いで、姉を無理矢理映画館に連れて行ったり、お願いだから見てくれとTLに懇願したりしていました。フォロワーの皆さん、その節はお騒がせしました。みんな見に行ってくれてありがとう。
私はこの作品の美術も音楽もキャラクターたちも役者の演技も全てが大好きで、特にキャラクターと役者の魅力について語り明かしたいぐらいなのですが、それはまた別の機会にして今日は物語を。この作品、何より話が面白かった!自己顕示欲と創作と鬼と欲望と国盗りの物語であり、どうしようもなく恋の物語でした。
あらすじ
天武天皇の時代にヒダの国の王様がかわゆい姫二人のため、名人を三人集めて仏像彫りを競わせます。姫たちが一番気に入った仏像を作った人には豪華商品プレゼント!という三年間の長期仏像デスマッチがはじまるのですが、実は名人の三人たちはそれぞれ素性を隠していて…というお話。
先ほどご紹介した耳男は旅の道中で師匠である名人が亡くなってしまったので、名人と偽ってヒダの国にやってきます。ごっつぁん名人。そしてそんな耳男が出会うのが姫二人のうちのお姉さん、夜長姫。夜長姫は初対面の耳男の耳を切り取ったり、耳男の家に上がらせてもらうために放火したりする美しく残酷で過激なお姫様です。私が世界で一番好きなお姫様。あんなにかわいい放火シーン見たことないぜ。
この二人は出会った時から強烈に惹かれ合っていますが、理由は明確には分かりません。でも唐突に、強烈に、二人の恋の形が浮き彫りになる瞬間があって、私はきっとこの瞬間を見るために何度も何度も劇場に通っていたのです。
夜長姫 暑い日にね、人を見ているの。みんな顰め面をして歩いている。けれど、突然、俄か雨が降ると。『いやまいりましたねえ、びっしょびしょっすよ、びしょびしょ、もうまったく……いやあ、まいった、まいった!』って言いながらニコニコして、雨やどりしているのが見えてくるの。
耳男 それで?
夜長姫 少しも、まいってはないのよ。
(中略)
夜長姫 人は俄か雨とか戦争とか突然なものが、大好きだっていうこと。
耳男 雨やどりと防空壕は違いますよ。
夜長姫 でもきっとそこでは、人はときめいているの。
夜長姫 でも教えて……あなたは、どこでときめくの?
耳男 あぁ、オレの場合は、オレの場合は……ああ……いつも、桜の森の満開の下です。こわいのだけれどときめくんです。
(中略)
耳男 ヒメといると、いつ片腕がなくなっていても不思議ではないから……よし五体満足と。
夜長姫 こわいけれどもときめく?
耳男 ええ、まあ。
夜長姫 では、あたしと歩けば、どんな森も桜の森の満開の下ね。
もうすんげ~~~恋!!!!
サディスティックな振る舞いに翻弄されて、耳を失って、耳男は夜長姫を呪います。でも姫の笑顔がこびりついて離れない、伸ばされた手を取らずにいられない。夜長姫こそが耳男にとっての災厄であり、俄か雨であり、恋そのものなのです。
夜長姫の残酷さは王や使いの者も怯えさせ、人々の死にいく姿に大はしゃぎし、誰も止めることはできません。でも耳男は耳を切り取られても、家を燃やされても、夜長姫のそばを離れることができません。「あたしはお前と、お前はあたしと一緒でなきゃ、生きていけないのよ」と言われた時の嬉しそうな顔ったら!絶対やめといたほうがいいし、その手を取らないほうが幸せになれるはずなのに、幸せはその先にしかないのです。まあわかるけど!七之助の夜長姫、こっちの気が狂うほど美しくてかわいくてチャーミングだもん!
『野田版 桜の森の満開の下』を見ている時に、映画『寝ても覚めても』を思い出していました。主人公・朝子の前から突然いなくなった元恋人の麦は、恋人・亮平や友人たちに囲まれた朝子の前に突然現れて「一緒に行こう」と手を差し出します。
夜長姫や麦のような自分のルールでしか生きられない、立ち止まることのできない人と生きていくのはとても難しい。でも差し出された手を取らずにいることはもっと難しい。これを恋と呼ばずして何と呼ぶのでしょう。
夜長姫と耳男が惹かれ合う理由は、恋としか説明しようがない。きっと全ての恋に理由があり、本当は理由など必要ないのです。
映画や舞台や本に描かれる物語が好きで、なぜ好きかを考えるのが好きで、好きなものについて話している時が好きです。でも説明のしようもない好きを前にして、向き合うのを投げ出して、ただただ好きに浸ることができるこの作品のことがもっと好きです。予告編を見るだけで、戯曲の台本を読むだけで涙が出ます。何でこんなに好きなのか分からない、でも大好き。
こんなに1つの作品にのめりこむとも思っていなかったし、こんなに歌舞伎を好きになるとは思ってもみませんでした。今年見た歌舞伎の話はまた別のところで話そうかな。財布は悲鳴を上げ続けてるけど、好きな役者も作品も増えて、毎日楽しくてたまりません。しかしこんなことになるとはなあ。いやあ、まいった、まいったなあ。